漁師の裏庭

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戸隠神社 00:20

神様、という言葉を恥かしいものだと思わなくなったのは、私の場合、小沢健二のおかげです。
戸隠神社に行ってきた。そこかしこに神様がいたよ。
(がぞうはクリックするとおおきくなりますもどるときはもどるで)

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そばを食べてしまってから撮ってなかったことに気付いた。そばはもちろん、きのこの天ぷらがおいしくてびっくりした。きのこに「ジューシー!」と言いたくなる日が来ようとは。

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                          神道っていうんだよ。

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                                 ピース!

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「クマが出ます。鈴を鳴らしてクマにあなたのことを知らせましょう」って、えー知らせたくない、と思ってしまうおそろしい看板がある山の中の道を、誰とも会わずに25分歩いてたどりついた鏡池。

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                                   かがみ!

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                                   人がいた。

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なぜかインド雑貨も売っている素敵なカフェもあった。ガレットとゆークレープのようなものを食べた。まだ歩くのでビールは我慢した。

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                                寝ころんだ。

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                             ハングリーアングリーです!

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                でました、そば懐石。ののたん旅館(仮)にて。

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そして気づいたときにはそば団子汁。浮いてる四角いものは豆腐じゃなくて、生麩みたいなそば団子。もちもちです。きのこがつながってるのを撮りたかったがいまいち成功しなかった一枚です。そして撮り損ねたが「深山大蒜」がうまかった。この言葉でググるとだいたいのことがわかります。

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        朝ごはん。ほかに、味噌汁とそばの実入りのおかゆ(ゆかりをふりかけてある)と、

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煮物と出汁巻きたまご!添えてあるのはあんずとリンゴの煮たもの(と、もみじと大根おろし)。甘味と歯ざわりにうっとり。

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                              あやや?

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      戸隠神社でもマイナーな火之御子社。芸術の神様らしく、社の前はステージのよう。

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バスが来るまで30分ある!と思って蕎麦屋に飛び込み、にごり酒。つまみになんとか瓜の酢の物をサービスしてくれた。これが自然の色なんだって。

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そばがきを注文。いろいろついてきて、また撮り損ねたけど、なんとか豆のクルミ和えを出してくれた。
あと、旅館で売っていた「蕎麦の実ロッシェ」という焼き菓子がおいしかった。クローバーという戸隠のお店のもの。調べたら店舗があった。

それから、おみくじのことも書いておこう。
おみくじを、と言うと満年齢を尋ねられる。すると神社のひとは奥にひっこんで、なにやら唱えて、封筒を持ってもどってくる。宝光社、中社、奥社、それぞれで所望してしまったのだが、3つとも同じではないが、かなり近い内容でした。

歩きまくって食べまくった旅でした。神様と、いろいろなものにありがとう。

| 戸隠 | - | - | posted by p
南フランス 00:37

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                                                       地中海は紺碧



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                                                       夏休み共和国



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                                 絶対何かが起こりそうな海辺のメリーゴーランド



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                                          ワイングラスがクロスしている



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                                                 登りたくなる坂道優勝候補



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                              頑丈そうであり脆そうでもある



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                               おいしいアーティチョーク、日本ではどこで食べられますか?



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                                                       チーズ専門店



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                                          フランスの車はフランスだとかっこいい



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                                                  日本でもおなじみPAUL



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                                                   仲よきことは美しき哉



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                                             なんかかわいくないですかピッツァ



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                                                街灯がぶらさがっています



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                                                         窓に光が


| NICE | - | - | posted by p
池澤夏樹講演「作家という仕事」メモ 18:36
人間には人の身の上に起こったことを想像するチカラがあります。
他人の身の上への並々ならぬ関心があります。
だから、赤の他人に起こった話でものめりこんで聴くこと、読むことができるのです。
その人の運命を共感を持って辿ることができる。
そのような人間ならではの特徴が小説の原理です。作家という仕事の基本条件です。

ところで「神話」とは神様に関するゴシップ、と言うことができます。
人間でもありそうなこととして、自分の村での人間関係にあったこと、ありそうなことと関連させて、日本は周囲を海に囲まれていますから魚に例えて「尾ひれがついて」、ヨーロッパでは「羽根が生えて」と表現しますが、ゴシップはふくらんで飛ぶように広まっていきます。

そして人間には他人のゴシップをまとめて聞きたいという欲求があります。
そのような話をまとめて、定着させる職業が成立しました。吟遊詩人です。
おしゃべり乞食とも言いますね。
旅をしながら話をする。知らない人の話も知ってる人のように話す。
これが詩、小説、叙事詩のルーツです。

他人の身の上に関する強い関心、これが小説の原理です。
同時にドラマ、映画、広告、などストーリー的なものすべての原理でもあります。
日本人はストーリー的なものが好きですから、コマーシャルなどの短い秒数のものでも、誰かに何かが起こって、それが商品の原理とつなっがていくというストーリー的なものが多いですね。


さて、ここまでは「小説の原理」というやや抽象的な話でした。
次に、作家という仕事というタイトルですから、「僕」の話をしましょう。

フィクションというのは何かと言うと、誰も見たことがないものです。
フィクションの反対は事実、ファクトです。しかし、歴史もファクトをよそおったフィクションです。誰も見たことがないのですから。

僕は小説というものに対して30年間、手も足も出ませんでした。
すくんでいました。
なぜかというと、親が作家だったというのもありますが、フィクションというのはウソだからです。ちゃんと育てられた子どもはウソがつけない(笑)。
書くというのは紙に書かれた仮の事実、ウソを自分が保証しなくちゃならないんです。
僕は「これはウソだろ?」と言われたら「はい」と言って下を向くしかなかったんですね。

つまり、フィクションという原理がわからなかった。
フィクションを書くのは、言い方は悪いですが、万引きに似ていると思います。
無理だ、できない、と思っていても、一度やってしまうと、そこを飛び越えてしまうと案外何度でも・・・(笑)。もちろん、万引きをしていいと言ってるのではありません。

ストーリーというのは、他の誰かの身の上に何かが起こる、それをまことしやかな話にしていく。聞いて面白くなるようにつくっていく。
その時、大事なのは思想です。
彼らのふるまいを通じて作者の何かが伝わらなければならない。そうでなければ僕が書く意味がなくなってしまう。作品さえあれば誰が書いたものかは関係ないと言い切れたらいいのですが、これは残念ながら個人主義とか名誉欲と関係あるところです。

では、具体的に、僕の「キップをなくして」という話をつくったときの舞台裏をお話しましょう。

僕には子どもが四人いるのですが、子どもが5歳から7歳ぐらいのとき、東京で一緒に電車に乗る時に、キップを買って、手渡しますよね、その時、必ず「キップをなくしちゃダメだよ」と言いました。「キップをなくしたら駅から出られなくなるよ」と言っていました。

10歳から15歳ぐらいの子供に向けて話を書こうと思ったときに、この言葉を思い出しました。
キップをなくした子どもたちが駅の中で暮らしているというアイディア、設定です。

もちろんこれはありえない話ですから、非現実、ファンタジーの世界に入っていきます。

この主人公はイタルくんという小学校4年生の男の子で、切手のコレクターなんです。
それで切手を買いに、ひとりで目黒から有楽町に行きますがキップをなくして、駅であわてます。
駅から出られなくなります。そこで自分と同じぐらいの年の女の子に声をかけられて、キップをなくした子ども達の暮らす東京駅の通路の奥にある空間、部屋に案内されます。

次に、生活の細部をつくります。ディテールです。
食事は駅弁をもらって、とか、遺失物で服、駅員のお風呂をつかう、とか、駅から出られませんが電車には乗れますから、ときにはみんなと相談して甲府まで行って駅弁をもらってくるとか、子ども達の自治の世界を。

そこでは映画的手法を使っています。映像として思い浮かべて書いています。
今思うとトルストイはすごくて、映画的手法で書いているのがよくわかります。
カメラの動きがあります。

そして次に、登場人物の性格わけをします。登場人物のグループにはいじわるな子もいればおっとりした子もいるというぐあいです。

次にテーマです。
この話全体で何が言いたいのか。
僕は、人が死ぬということ、生と死を書こうと思いました。
駅の子たちのなかに、一人だけ何も食べない子がいるんですね。
実はその子は死んでいて、あの世にいけなくて駅にいます。
その子が向こう側に行く、それをみんなで見送るという話にしたかった。
青函連絡船で旅立たせたかったので、時代設定もそれにあわせました。

そんなふうに話をつくりました。

あ、まだ少し時間がありますね。

僕の娘は声優をしているのですが、以前に講演で娘と一緒に朗読をしたときはとてもうまくいきました。今回は娘がいませんから、ひとりで読んでみようと思います。
「きみのためのバラ」という本の「都市生活者」という短編です。僕にしては珍しく東京が舞台です。

(朗読の後、講演終了。自分の印象に残ったところだけ書きました。間違いやニュアンス違いがあるかもしれません)
| - | - | - | posted by p
歌ドキッ 10:37
歌ドキッの堀内孝雄とのデュエットを見た。
最初、なぜか爆笑してしまった。
吉澤がニヤニヤしているような気がしたからだ。
これ矢口とのデュエットの後に撮ったんじゃないかな、なんとなく。
堀内のつくる空気。吉澤はそれを本当は自分で作りたかったのではないか。
男キャラ(つか、恋愛におけるリーダーシップキャラ)を、久々に使って。

でも、この歌の世界をつくる役割は堀内さん。
だから吉澤的にはお手並み拝見っていうか勉強勉強っていう気分で一歩ひきぎみで「へぇ」って見てたような感じ。

触るのかどうか迷っているような堀内の手、微妙な距離、堀内の熱唱、目を合わせたいのかそうでないのか自分でもよくわかってないミニスカの若い女、安っぽい照明、つまりカラオケっぽさ。歌がうまいだけに、余計に困ってしまうこの空気。
俺はテレビの前で三日月型の赤いタンバリンを握り締めてシャカシャカ鳴らしたかった。
すべてがヘンにハマって、爆笑していた。

でも、吉澤がハモりだしてからは、ちがった。
あー、歌手なんだなぁと思った。


なでしこのサポーター決定の記事で「モーニング娘。を卒業した、歌手・吉澤ひとみ」って書かれていて、すごくうれしかったことを思い出した。歌手なんだよ、よっすぃ〜は。うん。

ハモるほうがむずかしいんじゃね?プロっぽい。かっけー。
俺も吉澤にハモられてぇぇぇええええええっ。

放送が終わって。
前に谷村新司と後藤がミュージックフェアでデュエットした時のこと思い出した。
あれはすごかった。全く笑いたくならなかった。この差は何なんだろうか。

デュエットの相手の役割を、時と場合によっては自分がやることもありだな、と思えるかそうでないかの差。つまり、デュエットというのは、相手との代替性が低ければ低いほど良い組み合わせなんだね。そういうことを学びました。
(この法則はカプ小説にも当てはまるじゃん、驚愕!てか、すべからく「愛」ってそーゆーこと?さらに驚愕w)

冒頭の光井のDJも聞き逃せない。
「お父さんは矢沢永吉を歌う」って言ったよね?
どの曲歌うんだろう、お坊さん。ロックは煩悩のカタマリだぜ、イェイ!

※「往復書簡」終わり次第、表へ移す。


| - | - | - | posted by p
nature 00:14
manta is flying in the city

arigatidaga

syabondama

I and my friend

15minutes walk from hotel

red head bird

umibeno yosono hotel eggs benedict tabenagara

flowers by the hamburger shop

harmony

satsuei machinagara


| HAWAII | comments(0) | - | posted by p
capitalism 00:05
America



America



agepanya



America



America




Who are you?



America


homeless in the park



yoake no hana







| HAWAII | comments(0) | - | posted by p
food 23:57
spam


pancake with banana whip cream, and omlet @ eggsn things


eggs benedict


poached eggs on english muffin


with turkey & bacon


agepan gekiama


aho yatta

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sunrise sunset 23:44
too early morning



Good mornig,Diamond head



alone in the morning



daybreak



no words









| HAWAII | comments(0) | - | posted by p
「つかいたい」と「つかみたい」2005/12/03 08:51
メジャーとかマイナーとかって言い方、ちょっと違ってたかな。
多数派と少数派、ぐらいの感じで。
自分の書くものは少数派っぽいと思った、と。なぜか?そんなこと書きますね。

娘。小説の書き手は、娘。を使って、なにがしかの世界を描きたいと思ってる。
動機に「つかいたい」があるように思う。どう使うか?みたいのが、楽しくて、書いてる人が多いと思う。私は、そうじゃないんですよね。吉澤さんをつかって、面白い話を書きたい、と思って書き始めたのではなかった。

つかみたかった。
書くことで、つかみたかったんです。吉澤さんの本質みたいなものを。
本質、と言い切れず「みたいなもの」とつけてしまう自分のヘタレっぷりが情けないが、ともかく、それをつかみかかってる感触みたいのがあって、それを文字にして、自分の身体から外に出したかった。出さないと、苦しかったから。苦しいから、書き始めました。

自分の「感触」が伝わるように工夫しながら書くプロセスは楽しかったですが、動機づけは、楽しみのためではありませんでした。

いや、もう、マジキモいと言われても反論できないっす。

「つかいたい」に比べて「つかみたい」は、なぜ、キモいのか?
それは仮定ではなく、確定に向かう意思だから。

「実際は、こうじゃないけどさぁ」っていうのが「仮定」。
「実際は、こうじゃないのかなぁ」というのが「確定」。
同じ「妄想」でも、ふたつのベクトルは、真逆。
そりゃー、確定系の妄想は、キモいです。にじり寄ってますから、会ったこともない人に。

娘。小説を定義すると「モーニング娘。を題材にした架空の話、妄想」だと思う。
「こうだったら、いいよね」もあれば「こうだったら、せつないね」「こうだったら、笑えるね」もある。「こうだったら、こうだよね」というストーリー。その「こうだよね」を「こうだよね?」と語尾上がりめで読むのが「つかいたい」&「仮定」派とすれば、「こうだよねぇ、、、」と語尾下がりめで読むのが「つかみたい」&「確定」派、みたいな。わけわかんない説明ですみません。

そんで、やっぱ、基本、娘。小説は「つかいたい」で書かれているし、本来、そういうものだと思う。ネタだと思う。長いネタ。だから「つかみたい」っていう動機で書かれたものは、書き手の思いがにじり寄ってるぶん、ネタとして切れ味が悪くなりがちだし、少数派だし、自分の書いたものが「マイナー」な気がした、というのは、えっと、そういうことです。

某リンク先ブログさんに書かれていることとかぶってる感じだけど、ええい、更新してしまえぇぇ。

あ、それから、今、seekの森板見たら「泣きました」とか感想書いてくださってる人がいて、少数派なりに伝わっていること、本当にありがとうございます、と思います。
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鏡と吉澤06/03/09 21:53






画像とか貼ってみた。「視線」について書きたくて。

巻物写真集の、鏡を見る吉澤を見て、昔の画像を思い出した。
さらに、「8teen」にも鏡のやつあったよなぁとか思い出す。それを見てたら、最近の公式写真を連想。そういう4枚。

1と2は見られている自覚がある。見られながら自分を見る吉澤。そして、鏡を介してこちらを、カメラを意識している。
3は、「見てたのかよ」という感じ。見られてる自覚がない状態から見られている自覚がある状態へ、移行した直後。
4は、見られてる自覚がない。

1と2の画像。
鏡と向き合っている吉澤は、いわゆる「キャラ」が抜け落ちて見える。
鏡が映すのは、先天的にその人が持っているもの。知恵とか思考とかの後天的なものは排除される。
吉澤は、ただの、きれいな人に見える。そのことに余計な価値判断(「よしっ!きょうもカワイイッ!」とか)もなく、吉澤は自分を見ている。
そして、そういう吉澤を見ている私は、見てはいけないものを見てしまったような居心地の悪さを感じる。
吉澤であって吉澤じゃない感じ。クローン人間ってこんな感じかもしれないなと思う。映画「アイランド」みたいに特殊な環境で育って「カワイイ」とかそういう概念も知らなくて。そんな架空の吉澤を見ているような、切っても血が流れない感じ。

そして、私が、吉澤に見られているという感覚。鏡があるから。
それにギクリとさせられる。いつも、私は、吉澤を、見る側であって、逆はありえないと思っているから。吉澤のカメラ目線の写真を見ても「私が見られている」という感覚はない。が、鏡があると状況が変わる。
交錯する視線。クローンっぽい吉澤に見られているような、妙な感覚。

鏡を介して吉澤に見られているという意味では3の写真もそうだが、
1と2に比べて、3と4に抱く感情は異なる。
ここにいるのは生身の吉澤。見られることへの準備が整っていない、無防備な吉澤。それはそれで、見てはいけないものを見てしまった居心地の悪さはあるが、架空という感じはしない。切ればフツーに血が流れるだろう。この写真で感じるのは、ひとりのときの、フツーの吉澤。孤独とか落ち込みとかそういうことでもなくて、ただフツーのテンションで自分の部屋とかにいるような。

見るひと、見られるひと、見られないと思っているのに見られているひと。見られながら見るひと。4枚の画像、どれも吉澤の、本人の無意識の部分、自覚的でない部分、つまり、「素」があるわけだけど。
「素」の深さにもいろいろある、というようなことを思った。
自分は「素」の人に見られるとビビる、ということとかw。
見る・見られる関係とは?

そういう意味で、見られている自覚がある人を見る、というのは、とても安定感のある関係なのだなと改めて思ったよ。安定感?安心感、つか。そういう写真も貼っときますね。なんだか安心だからw
LOVE

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